GRのビビッドを河原で楽しむ

 

GRの撮影画像をビビッドに設定して

川の上流で10分くらい遊んだ。

 
水の色が見た目よりやや薄いけどだいたい同じ。
 

 

 河原に落ちていた金属の破片
気持ち赤みがかっているが、違和感はない。
 
Xシリーズが描く華やかな記憶色とは違う方向にありながら
GRが紡ぎだす色もまた記憶の中をスイスイと辿る
とても地味な色だけど、プリントになったらどうなるのか楽しみだ。
 

RICHO GR 
 
 線が細い。
シャッター速度を遅くした場合の水の描かれ方が気になるので
レリーズと三脚を持ってまた来よう。
 
去年の台風で運ばれてきた土砂で川幅が狭くなっていたが、
流れる水の透明度は以前と変わらず綺麗だった。

湿潤と乾燥

SIGMA DP3 Merrill / RAW SPP 5.5

 

雪が降らなくても冬らしいと思えるのは、

空気が乾燥しているためだ。

 

乾燥は、身体に対し、たとえば眼、喉、鼻に

さまざまな支障をもたらすが

比較的湿潤な日本の気候にあって、

これはひとつのメリハリを生んでいる。

 

春夏秋冬のメリハリというのは

ある意味、北海道から沖縄までの凝縮とも言うべき移り変わりだが、

湿潤と乾燥のメリハリというのは

人と空気の綱引きとも捉えられる。

人間と自然との間で行われる水分の奪い合いである。

 

湿潤と乾燥に四季を当てはめるなら

春夏の湿潤と秋冬の乾燥となるだろう。

湿潤から乾燥へ移ろうように見える。

 

しかし、これは湿潤と乾燥を見ているのでなく、

四季を見ているに過ぎない。

 

四季は春、夏、秋、冬と順番に変わって行く。

この流れはどこかで順序が入れ替わったり、

そのうちひとつが欠けたりすることはない。

 

湿潤と乾燥には、人間が完全に見通すこのできる規則性はない。

春の中に湿潤と乾燥は存在し、今日一日の中に湿潤と乾燥は入り交じっている。

 

 

私達は皮膚を通して、湿潤と乾燥から情報を受け取る。

降雪の記憶

SIGMA DP3 Merrill / RAW SPP 5.5

 

今年は、北陸ではいつになく雪が少ないシーズンだった。

スノーボーダー達は悲しみの声を上げるが

ウインタースポーツを嗜まない者としては

とても過ごしやすかったシーズンとして記憶に残ることと思う。

 

とは言え、積もる雪の少なさ、空気の温かさにより

ここ数ヶ月の写真を見返すことは、

「季節を写すことができなかった確認」に変わり

かすかに寂しい

 

1月中頃に市内の山間部に行った際、

今シーズン最も冬を写すことができた

結局、市街地の水たまりが薄く凍る様子は見れなかった。

ソウルフード

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RICHO GR

 

「ソウフルフードは?」と訊かれれば、

迷わず「ソースカツ丼」と答える私は

まぎれもなく福井県

 

福井県の中でも南の地域は、

文化的には関西圏の端っこなので

私にとってはお好み焼きもソウルフード

 

市内の鉄板焼きの店に行ってみた

なかなかおいしかったけど

やっぱりお好み焼きは、広島焼きにはかなわないと再確認した

 

 

ノイズのざわつき

RICHO GR

 

比較レビューは見ないので完全に主観だけど、

GRはX-E1よりノイズが出やすいと思う

写真にノイズが出ていてもあまり気にしないので、

被写体にもよるけれど、GRの場合、

モノクロだとISO6400とかでも許容範囲

 

日進月歩の高感度性能

フラッグシップ機はもちろん

コンデジでも驚くべき高感度性能を誇る機種も多くなった

 

滑らかさとザラつきを並べたとき

滑らかなほど良くて、ザラつきは画にとって余計な要素

というのがひとつの共通理解になっている

 

そもそも、「なんでノイズは邪魔者あつかいされるのか」

 

考えるよりもまず、DP Merrillをどんどん高感度で使ってみることから始めたい

身体的な空気の共有

RICHO GR

いつも見ている風景がエアリーな色調になっていた
 
季節の風物詩であり大陸からの贈り物の、PM2.5の濃度が上がっている。
例年通りの時期にやってきた。
 
北陸の冬の重たい空気に、質量を持った空気がのしかかる。
遠く見える山の稜線が滲んでいる。
 
私達は空気を共有する
 
朝、外に出てご近所さんと
「寒いですね」「そうですね」
などと会話が成立するのは
私達が「寒さ」を身体的に共有しているからだ
 
ここ数年のうちにマスコミに報道されるようになり、
日本でもその値を測定するようになり広く知られるようになっただけのもので、
PM2.5はずっと前から存在していた。
中国が石炭をガンガン燃やし始めたのは昨日今日の話じゃないから。
 
私達は既に、北風とともに来る白く澱んだ空気を
身体的に共有しているのかもしれない。
 
試しに明日の朝、「今日は濃いですね」と挨拶してみようか。

どっちもいい 再考

XE-1 COSINA Voigtlander SUPER WIDE-HELIAR 15mm F4.5 Aspherical II

 

昨日、カラー写真もいいし、モノクロ写真もいいという記事を書いた。
 
 
写真史に関する書物を読んだ際に感じたこと。
70年代、カラーフイルムは表現性の面において、まだまだモノクローム・フィルムに劣るとされていた時代、カラーを積極的に使ってアート写真に取り組んだ作家がいた。
アメリカで起こったこの動きは、「ニューカラー」と呼ばれているが、
当時、新しい表現に挑んだ彼らは、多くの批判を受けて何を思ったのだろう。
 
 
一方、機材についての定説
単焦点レンズはズームレンズよりも性能がいい」
「ズームだと単焦点で対処できない場面がある」
「ズームの便利さは画質を上回ることがある」
「動体に対してEVFではファインダーで追いきれないのでOVF搭載機を使うのが常識」
 
 
価値は、計り方でちがってくる
 
 
カラーとモノクロだとか、単焦点とズームだとか、フイルムとデジタルだとか、
どちらがよいかみたいな発想が、やたらに目立つし、
それは「虎と龍」「リュウとケン」みたいで、
画ヅラがいいかもしれないけど、
「あっちを否定して」ここから発展するなんてありえない